ブラック校則は何が問題なのか(2023.1.20 河田 布香会員)
1 はじめに
最近、「ブラック校則」という言葉をよく聞くようになりました。全国の学校には、下着の色を白に限定する、防寒具を禁止する、頭髪の黒染め強制するなど、必要性や合理性を見出しがたい校則が数多く残っています。このような校則をブラック校則」と呼んで、これを撤廃しようという活動が広まりつつあります。
私は、この活動に賛成する立場から、このコラムを書きました。
なお、ブラック校則につき、明確な定義があるわけではありませんが、本コラムでは、一般常識から乖離しており、かつ内容が不合理な校則(具体的には、生徒の人権や健康を侵害する内容の校則)を指す総称として定義したいと思います。
2 ブラック校則の問題点-人権の観点から
ブラック校則は、そもそも何が問題なのでしょうか。
まず第一に、子どもの人権を制約する恐れがあるという点にあると思います。
憲法11条は、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」と定めています。
すなわち、人権は、人間であることにより当然認められる権利であり、人種、性、身分などの区別に関係なく当然に享有できる権利です。したがって、子ども(学生)にも当然人権は認められます。
その前提にて、当該校則の内容が、子どもの人権を制約するものであるかどうかを検討することになります。
この点、たとえば、昨年、大阪地裁にて、生徒の染髪を禁止した校則の合憲性が争われた事案の判決が下されました。当該判決では、一般論として、校則の制定については学校側に広範な裁量が認められており、当該校則の目的が学校教育に係る正当な目的のために定められたものであって、その内容が社会通念に照らして合理的なものである場合には、裁量の範囲内であり違法ではないという基準のもと、➀生徒に学習や運動等に注力させ、非行行動を防止するという目的の校則であり、正当な教育目的である、➁義務教育と異なり、生徒は自ら高等学校の定める規律に服することを前提に受験する学校を選択したので、校則の制約は生徒に過度な負担を課すものではなく、社会通念に反するものではない、として、校則自体の違法性を否定しています。また、同校則に基づく頭髪指導自体にも、教員が髪の生え際を直接見て、地毛の色を確認するなどしており、合理的な根拠に基づいて生徒の生来の髪色を黒と認識したもので行ったものであるからとの理由で、違法性を認めませんでした。
この校則に関する広範な裁量故に、ブラック校則自体の違法性(違憲性)は簡単に認められるものではありません。ただし、そうであるとしても、たとえば本件が義務教育下の事案であればどうだったのか、地毛を確認せずに頭髪指導を行ったならどうであったのか等、細かい事実関係次第によって、違憲と判断される余地も十分あり得ました。
また、本件は、生徒の生来の髪色が茶色であるという主張に対し、これは事実でないとして、黒色に「染める」よう指導したという事案です。すなわち、本件の染髪禁止規定及びこれに基づく生徒指導の趣旨は、「髪色を生来のものから変更すしてはならない」という趣旨ではなく、「黒色にしなければならない」という趣旨のものと推測されます。自身のルーツや体質等によって、髪色が必ず黒色であるとは限らないにもかかわらず、これを黒色に強制することが、本当に生徒の人格権を侵害しないのでしょうか。その意味で、本判決には疑問が残ります。
3 ブラック校則の問題点― 民主主義の観点から
もう一点、ブラック校則は、民主主義の観点からも問題があります。
そもそも、校則は、誰が、どういう手続を踏んで制定するのでしょうか。
この点に関し、各種教育関係法令(教育基本法、学校教育法、学校教育法施行令等)には規定はありません。あえていえば、学校教育法11条は教員の懲戒権を定めていますので、現在の校則は、懲戒権の行使基準として、学校が一方的に制定している状況といえます。
しかし、民主主義の観点からいえば、人は生まれながらに自由なのであり、安直に誰かの人権を制約するような決まりを作るべきでなく、仮にそのような決まりを作るというのであれば、議論を行ったうえでなくてはいけませんし、その決まりを変える方法がなければなりません。ところが、校則に関していうと、そのような方法が制度的に保障されていません。
このように、ブラック校則には、人権制約の側面があるうえ、これを変える方法もなく、民主主義の考えが反映されていないという点に問題があります。
4 まとめ
私は、落ち着いた学校生活のために、校則が必要であるということ自体は否定しません。しかし、民主主義国家である日本において、民主主義の観点を置き去りにしたまま、人権制約のおそれがある校則が、これを変えることもできずに残存している状況はおかしいと思います。
学校に通う学生たち、学校運営に携わる教師たち等、学校関係者が、協議して、自分たちの合意に基づく校則を作る仕組みを模索すべきです。
また、校則についてこのようなプロセスを経ることで、子どもたち自身が民主主義を身近に体感できるのではないかという期待を持っています。自分たちのことを他人が勝手に決めるのではなく、自分たちが主体となって決めるという意識を養うことで、大人になってからも、社会の仕組みに関心を持ち、健全な批判精神のもと、理不尽に対して声を挙げられるようになるのではないでしょうか。「決まりなんだから守って当たり前」ではなく、社会全体で、校則の在り方を見つめ直していくべき時代になっていると思います。