生活保護費引き下げをめぐる訴訟(2020.12.11 森岡 佑貴会員)
第1 生活保護基準を巡る訴訟について
岡山地方裁判所でも訴訟係属している2013年から2015年まで3年にかけて行われた生活保護の引き下げ(以下、「本件引き下げ」という)をめぐる問題について、令和2年6月25日、名古屋地方裁判所において、全国初の司法判断が下されました(以下、「名古屋判決」という)。この司法判断は以下に見るとおり、従前の生活保護の基準をめぐる判断枠組みから見れば、きわめて問題のある判決であり、到底容認できないものでした。
第2 生活保護の基準が問題となる際の判断枠組み
生活保護利用者のうち、高齢者世帯に支払われていた老齢加算の廃止をめぐる裁判の最高裁判決においては、最高裁判所は、「裁量判断の適否に係る裁判所の審理においては、主として老齢加算の廃止に至る判断の過程及び手続に過誤、欠落があるか否か等の観点から、統計等の客観的な数値等との合理的関連性や専門的知見との整合性の有無等について審査されるべきものと解される。」と述べ、①統計等の客観的数値との合理的関連性、②専門的知見との整合性から判断する旨を述べていた。
第3 本件引き下げの概要
本件引き下げは、ゆがみ調整とデフレ調整という2つを根拠とされたものでした。ゆがみ調整とは、生活保護利用者と、年間収入階級第1・十分位(収入の高い人から並べていった場合における一番下の10%に含まれる人)との消費実態とを比較して、その消費実態の「ゆがみ」を調整したものと説明されています。デフレ調整とは、平成20年度以降、デフレ傾向が続いているにもかかわらず、生活扶助基準が据え置かれてきたことを受けて、実質的に生活扶助基準の引き上げと同視できるとし、CPIの動向を勘案して生活扶助基準の見直しを行ったものです。
第4 名古屋判決の概要
名古屋判決は、その判断枠組みにおいて先の老齢加算廃止最高裁判決で述べられていた①統計等の客観的数値との合理的関連性、②専門的知見との整合性という2点について言及することなく、判断枠組みについては、厚生労働大臣に専門技術的かつ政策的な見地からの裁量権が認められるとした上で、ゆがみ調整、デフレ調整を行った厚生労働大臣の判断に判断過程及び手続における過誤、欠落があるか否かから判断するという判断枠組みを採用し、原告側の主張をいずれも排斥した上、本件引き下げは必要があって行われたものであり、厚生労働大臣の判断の過程に過誤・欠落はあるとはいえず、その判断が違法なものとはいえないと述べました。
さらに、名古屋判決は、生活保護費の削減などを内容とする自民党の政策は、国民感情や国の財政事情を踏まえたものであり、このような事情を考慮することも許されると述べました。
原告ら生活保護利用者の生活実態の調査についても調査の客観性・公平性・中立性がないと述べた上で、原告らについて1日3回ご飯を食べられている者が6割以上存在すること、外食できるものや、貯蓄が出来るものがいること、映画、カラオケ、日帰り旅行が出来ている人がいることを指摘し、原告らの生活実態が最低限度の生活を下回っていたと認めることが出来ないと判断しました。
しかしながら、この名古屋判決は以下にみるような問題がありました。
第5 名古屋判決の問題点
1 老齢加算廃止最高裁判決を踏まえていない点
先に述べたように、名古屋判決は、老齢加算廃止最高裁判決が示した①統計等の客観的数値との合理的関連性、②専門的知見との整合性という2つの事項を判断枠組みにおいて言及することなく、厚生労働大臣の裁量権行使を肯定する際の理由として、統計等の客観的な数値等との合理的関連性や専門的知見との整合性に欠けるところはないという後付けを行っているに過ぎません。
また、専門的知見との整合性という観点については、本件引き下げの根拠となった生活保護基準部会で部会長代理を務めた岩田正美先生が、本件引き下げについては問題があったのではないかと考え、法廷において、国側の主張を否定しましたが、名古屋判決では、岩田証人について一切触れることがありませんでした。
2 生活外的事情を押し出した判断であったこと
生活扶助基準を定めるにあたって考慮すべきなのは、生活保護法8条に規定されているように、「年齢、性別、世帯構成、所在地域」等といった要保護者本人の暮らし等に関連する事項です。ところが、名古屋判決は、正面から国の財政事情や国民感情を理由に引き下げを行ったことについても認めた上で、このような生活外的事情によって本件引き下げを肯定することが可能であると述べました。
3 小括
名古屋判決は、このように、国の主張を徹頭徹尾肯定し、原告らのような少数者の人権を守る砦としての役割を放棄し、単なる国の追認機関となり下がっており、きわめて容認できないものであった。
このような名古屋判決が下された背景には、原告らの生活実態への無理解があるように思われます。
先に述べたとおり、憲法25条1項が保証しているのは、最低限度の生活ではなく、「健康で文化的な」最低限度の生活ですので、名古屋判決はかかる点を大きく誤解しているように思います。
名古屋判決からは、貧困と言う概念についてその総収入によって肉体的能率を維持するために十分な栄養を得ることができない状態という絶対的貧困概念を基に思考しているように思います。
そのため、名古屋判決は、要するところ、ご飯が3食食べられているから最低限度の生活ではないといったようなきわめて杜撰な生活実態に対する理解をひけらかすことになりました。
第6 まとめ
以上のとおり、名古屋判決は、原告らの指摘についてその一切を排斥し、国民感情と言う本来もっとも考慮してはならない事情を考慮できると正面から認め、原告らの生活実態も軽視するきわめて問題のある判決であった。
日本では、本件引き下げに見られるようにこれまで社会保障についてその必要性について十分に検討することなく、むしろ切り詰めてきました。そのような中で、コロナ禍が生じ、今、日本では、改めて、社会保障の脆弱さが問われ、生活保護制度の重要性が改めてクローズアップされているように思われます。生活保護制度は国民にとって最後のセーフティネットであると共に年金や最低賃金などの多数の社会保障制度につながる社会保障制度の根幹部分ともいうべきところでした。そうした生活扶助基準の引き下げについて国民感情を理由に安易に肯定する名古屋判決のような考え方がまさに今の日本の社会保障の脆弱を招いているように思われてなりません。
以上のとおり、今回の名古屋判決は原告らの生存権を侵害するきわめて問題のある判決であり、控訴審においては否定されるべきものです。