ハンセン病家族訴訟及び同判決後の動きについて(2019.12.20 近藤 剛会員)
1 ハンセン病家族訴訟とは
「ハンセン病家族訴訟」とは、ハンセン病患者と親子、夫婦、きょうだい等の家族関係にあった561名の原告が、国の誤った隔離政策によって、ハンセン病患者の家族であったというだけの理由でさまざまな差別偏見にさらされ、さらに家族関係も破壊されるなどの被害を受けたとして、国に対して損害賠償と謝罪広告を求めて、2016年2月15日に熊本地方裁判所に提起した訴訟である。同年3月29日には第2次提訴がなされた。この訴訟の直接の契機となったのが「鳥取訴訟」である。同訴訟は、2010年に鳥取地裁に提起された、非入所者の家族(子)による初めての訴訟である。一審の鳥取地裁、二審の広島高裁松江支部の不当判決を経て、現在は最高裁に係属している。
2015年9月9日に言い渡された鳥取地裁判決は、原告・高橋正典さんの請求を棄却する不当判決であったが、一般論として、ハンセン病元患者の家族の固有損害とそれに対する国の責任を認めた。これが直接のきっかけとなり、らい予防法廃止から20年を経過する直前の2016年2月に、ハンセン病家族訴訟が提起された。
2 裁判の争点
(1) 隔離政策は家族を標的にしたものか否か
国は、隔離政策は、ハンセン病患者に対して向けられたものであり、家族が何らかの被害を受けたとしても隔離政策によるものではないとして、国の責任を否定した。しかし、国の隔離政策が、患者本人だけでなく家族をも対象とした政策であったことは、次のような点に表れている。
①1907年「癩予防に関する件」制定以前から、「癩患家」という呼び名で、家族も調査や監視の対象にしてきた。
②「癩予防に関する件」のなかでは、本人の衣類等だけでなく、家族の衣類等、家の消毒という規定も置かれていた。
③政府が、ハンセン病はコレラやペストにも勝る恐ろしい伝染病であると喧伝したために、地域において家族までもが差別や偏見の対象となった。
④「無癩県運動」により、家族が離散し、あるいは地域で孤立した。
⑤優生思想にもとづく断種・堕胎、とくに1953年制定の優生保護法では、患者だけでなく配偶者への断種等も行うことができると規定された。
⑥親が療養所に収容されたとき、子どもたちは「未感染児童」として、療養所に併設された保育所に収容された。このことが親子関係の歪みや断絶を生んだ。
(2) 法務大臣や文部(文科)大臣も、家族に対する偏見差別を受ける社会構造を形成し、これを解消しなかった責任があるか?
(3) 原告ら家族に共通する損害として、偏見差別を受ける地位に置かれたこと及び家族関係形成を阻害されたことによる損害が認められるか?
親やきょうだいが、療養所に収容された原告は、近所や学校などでいじめや排除、蔑視を経験し、あるいは、親が療養所に収容されたことにより経済的に困窮し、幼少時に親戚をたらいまわしにされ、親戚からも見放されて食事も十分に与えられないという生活を余儀なくされた者も少なくない。進学や就職の際の差別も、多くの人が経験している。相手方に家族がハンセン病であったことを打ち明けたとたんに、結婚が破談になったとか、結婚後にさげすまれたという例も少なくない。配偶者や子どもたちに、患者の存在をひた隠しにして生きてきた人も多い。
3 熊本判決の概要
熊本地裁(遠藤浩太郎裁判長)は、2019年6月28日、国の加害責任を認める原告勝訴の判決を言い渡した。各争点について判断の大要は、次のとおりである。
(1)各争点についての判断について
判決は、隔離政策によって、①周囲のほぼ全員によりハンセン病患者及びその家 族に対する偏見差別が出現する一種の社会構造(社会システム)が形成され、この社会構造に基づいて、患者家族に対し差別を行い、深刻な被害を発生させたことや、②隔離等によって、家族関係の形成を阻害する被害を発生させたことを認めた上で、上記の①の差別被害は、個人の尊厳に関わる人生被害であり、②の家族関係形成阻害の被害は、人格形成に必要な愛情を受ける機会を喪失させるという回復困難な不利益であり、憲法13条の人格権や憲法24条の夫婦婚姻生活の自由を侵害するものであると判断した。その上で、遅くとも、1960年には、隔離政策を廃止した上で、家族への差別被害を除去すべき義務があり、1996年に「らい予防法」を廃止した後には、より高度な偏見差別除去義務が課せられたにもかかわらず、その義務を果たしてこなかったと判断した。この偏見差別除去義務については、厚生(厚労)大臣のみならず、法務大臣、文部(文科)大臣の責任も認めた。また国会の立法不作為の違法性も認めた。
(2)熊本判決の問題点について
ア)偏見差別を受ける地位に置かれた被害について
判決は、2001年末までには、国賠法上違法と評価されない程度には偏見差別除去に努めたとして、2002年以降は、これらの大臣の責任を認めなかった。そして、偏見差別を受ける被害者の認識を前提とした上で、偏見差別除去義務が違法とされた2001年末までに,周囲に患者の家族であることが知られず、かつ、本人も家族が患者であることを認識していなかった場合には、偏見差別を受ける地位に置かれたことによる権利侵害はないとした。
また、包括一律請求であることを踏まえ、最も認識が遅い者(2001年判決前後に、前記認識をするに至った者)を基礎にして30万円と算定した。
イ)家族関係形成阻害の被害について
判決は、この被害は隔離によって生じた被害であるとして、患者が入所していない者、患者が入所していても時々自宅に戻ってくるなどしていた者には家族関係形成阻害の被害を認めなかった。また、本土では1960年以降、沖縄では1972年(本土復帰)以降に、患者が入所していない者については国の責任を否定した上で、慰謝料額は、親子・配偶者が入所していれば100万円、きょうだいのみは20万円と認定した。
4 判決後の弁護団原告団の行動
原告団と弁護団は、熊本地裁判決には、20名の原告の請求を棄却したこと、慰謝料を低く抑えた上に格差をつけたこと、沖縄の原告について本土と異なった取り扱いをしたことなどの問題点はあるものの、2001年の熊本判決を一歩進めて、隔離政策による家族に対する国の責任を認めたことや、偏見差別除去義務について、厚生(厚労)大臣だけではなく、法務大臣、文部(文科)大臣の責任を認めた点を評価して、原告らを支援する市民とともに控訴断念に取り組んだ。
この控訴断念行動により、政府も控訴断念し、7月12日の首相談話では、国の行った隔離政策により家族が厳しい偏見、差別の被害を受けたことを認めて謝罪した。敗訴原告らも控訴しないことを決断し、その後、原告団と弁護団は、国に対して、ハンセン病元患者の家族に対する一律平等の補償制度の創設とハンセン病回復者や家族に対する差別偏見解消に取り組むことを求めて運動を展開し、その結果、新たな補償の枠組みについて国と合意した。
5 新たな補償法案の骨子
2019年11月15日、ハンセン病元患者の家族を対象とした新補償法「ハンセン病元患者に対する補償金の支給等に関する法律」(令和元年法律第55号)が成立し、同年11月22日に公布・施行された。
[補償金の支給対象となる方及び補償金の額]
平成8年(1996年)3月31日までの間(らい予防法が廃止されるまでの間)にハンセン病の発病歴・国内等居住歴のある方と、次のような関係にあった方で、補償金の請求の申請時に生存している方。
①配偶者
②血族である親・子
③一親等の姻族
④血族である兄弟姉妹
⑤2親等の姻族(配偶者の兄弟姉妹・兄弟姉妹の配偶者・孫の配偶者等)
⑥3親等内の血族(孫、おい・めい等)
【①、②、④については180万円、③、⑤、⑥については130万円(ただし、同居要件あり。「同居」とは、発病から平成8年3月31日までの間に日本において(日本に居住したことのない場合には、昭和20年8月15日までの間に台湾、朝鮮等の本邦以外の地域において)生活の本拠を同一にしていたことを意味する。】
[請求方法等]
(1)請求期限
補償金の請求期限は、法施行日(令和元年11月22日)から5年以内(令和6年(2024年)11月21日まで)である。
(2)認定審査会の審査
①「元患者」の要件を満たすかどうか、②対象者にあたるかどうか、特にその他同居の親族の場合は同居要件を満たすかどうか、について、補償金受給歴、患者台帳・診療録、戸籍等の関係書類によって確認できない場合は、認定審査会に審査を求める。
なお、くわしくは、厚生労働省のホームページを参照ください。
6 「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」(ハンセン病問題基本法)の改正
新補償法の成立に加えて、ハンセン病問題基本法の一部改正も行われた。これに伴って、厚生労働省・文部科学省・法務省が連携・協力して差別・偏見の解消のため、人権教育・人権啓発事業のあり方を見直し、新たな方策を検討するための統一交渉団との継続的協議も始まっている。私たち市民一人ひとりに対しても、かつて官民一体となって推進された無癩県運動に関与し、ハンセン病患者を地域から療養所に送り込んだという重い歴史的事実を踏まえて、今、何をすべきかが改めて問われている。