高市早苗総務大臣の放送法電波停止発言に、断固抗議する(2016.3.2 呉 裕麻会員)
高市総務大臣は、2016年2月8日の衆議院予算委員会にて、放送局が政治的公平を欠く放送を繰り返し、行政指導しても改善されない場合に、放送法4条違反を理由とした電波停止の可能性を示唆した。このような高市総務大臣の言動は、憲法21条の表現の自由をないがしろにするものであり、また、憲法21条を大前提とする放送法の趣旨をまったく誤解している。したがって、このような言動に対して、私は、断固抗議の意思を表明するし、今後二度とこのような言動が繰り返されないことを高市総務大臣及び政府に強く求める。
そもそも、憲法21条は、表現の自由を広く保障することで、国民による自由な政治的意見交換を保障している。当然に、政府に対する批判の自由も含まれており、放送局もまた政府を批判する自由を持つ。そして、憲法21条は、表現の自由の裏返しとして、いわゆる「知る権利」も保障している。国民からすれば、放送局による放送を知ることで時の政権の施策に対するチェック機能が強化されることとなる。この表現の自由により、健全な民主主義、民主国家が初めて実現することとなる。
このような表現の自由の重要性から、放送法はまず第1条で放送が国民に重要な効用を持つこと、表現の自由を確保し、民主主義に資するようにすべきことといった規定を設けている。先に述べた表現の自由の重要性及び放送法第1条を前提とすると、放送法4条2号はあくまで放送局の自主規制に留まる「倫理規範」と解釈するほかない(合憲限定解釈)。すなわち、法放送4条2号の「政治的公平」とは、立場の別れる政治的問題があった際に、一方のみの意見を取り上げるのではなく、他方の意見にも言及すべきことを放送局側に自主的に求める趣旨の規定に留まるというべきである。これを高市総務大臣の述べるように「法規範」と解釈することは許されない。仮にこれを法規範と解釈し、放送局が「政治的公平」を害したと政府が判断して電波停止が可能だとしてしまうと、およそ放送局は政権批判の放送が行えず、表現の自由に対する委縮効果は絶大である。
このことは、そもそも「政治的公平」という概念自体があいまいで判断自体が困難であること、政府を批判する報道一切を「政治的公平」を欠くと解釈するのは表現の自由の観点からは妥当でないこと、政治的に一方の立場に立っている政府が放送局の「政治的公平」を判断すること自体誤っていることからも裏付けられるといえる。
この間、安倍政権や自民党国会議員は、度重ねて放送局の放送に対し、厳重注意や事情聴取などの方法で違法不当な介入を繰り返している。この度の高市総務大臣の言動もそれらと軌を一にするものであるが、このような行為は、ひいては国家による国民の情報統制に繋がりかねない。
安倍政権は、安保法を強行採決したことで、戦争への道を突き進んでいるが、先の戦時中に厳しい言論統制が敷かれ、戦争の行方を正しく知ることができず、また、戦争に反対の声を挙げることもできなかった悲惨な過去を繰り返さないためにも、この度の高市総務大臣の言動に断固抗議する。また、今後二度とこのような言動が繰り返されないことを高市総務大臣及び政府に強く求める。