逆転無罪~ある特別背任事件の報告~
木もれび法律事務所
弁護士 清 水 善 朗
はじめに
「原判決を破棄する。被告人は無罪。」2017年4月19日午後4時30分,広島高等裁判所岡山支部201号法廷。
無罪にならなければおかしいと思い続けてきたものの,大泉裁判長の言い渡した主文に胸をなで下ろした。
会社役員が他社に資金を貸し付けた行為が特別背任として起訴され,1審岡山地方裁判所第2刑事部は有罪判決を言い渡したが,控訴審の広島高等裁判所岡山支部が逆転無罪とし,確定した事件について報告します。
事件の概要
倉敷市にある浄化槽の設置や管理を行ってきたK社の取締役Oは,2014(平成26)年6月23日倉敷警察署に逮捕された。
被疑事実は,Oが微生物を利用した製品の開発等を業とするS社の実質的経営者であるIと共謀のうえ,K社とS社とのβグルカン関連商品の共同開発資金を捻出し,S社の利益を図る目的で,OにあってはK社にとって最大の利益を生むようつとめ,無用な支出を避けるなど誠実に職務を遂行すべき任務を有していたにもかかわらず,平成18年4月頃からK社からS社に架空取引名下の資金提供を繰り返した挙げ句,平成20年6月末時点で1億8000万円余りの未収金を発生させ,S社にさらなる貸付を行えばその貸付金の回収が極めて困難であることを認識しながら,貸付金回収措置を講ずることなく,2億円を貸し付けたという内容であった。
起訴まで
Oは,2010(平成22)年にK社を退職して別法人の役員に就任していたので,逮捕されたのは退職から4年,被疑事実のあった時から6年が経過していた。そのため,詳細な記憶は明確でなかった。しかし,S社に貸付を行った理由については明確に答えていた。
K社の本来業務である浄化槽関連の事業が長期的な低落傾向にあったことから,K社の将来を考えて新規の事業に乗り出そうとしていた。それがバイオテクノロジーを使った技術や製品であり,βグルカン関連の事業であった。
K社はいずれも清掃関連の仕事をしており,近所同士であったT,Oの父親のY,Tが経営する会社の番頭格であったNの3人によって昭和46年に設立された。持ち株の割合は,Tが7,O氏の父親Yが2,Nが1で,Nが社長,Yが取締役として会社経営にあたり,T(T死亡後はその妻)は県議会議員になって役員報酬を得るだけで経営には関与していなかった。
Oは大学卒業後K社に入って次第に頭角を現した。社長の座にはNがつき,経営判断をするものの,1998(平成10)年頃からはOも会社経営の中核を担うようになった。
K社は浄化槽の設置や管理を行ってきた。倉敷地域にはコンビナートを形成する中核企業とその下請けの中小事業所があり,これら企業の労働者が生活する集合住宅があった。K社は企業や集合住宅の浄化槽の設置管理で収益を上げてきたが,公共下水道の普及によって浄化槽関連の収益が長期にわたって減少し続けいていた。
社長のNは,浄化槽関連の収益が減少していることに不満をもちながらも具体的な対応策はなかった。Oは,対応策として倉敷の中心部に高い賃料を支払って借りていた会社事務所を郊外に移して安価なプレハブの社屋を新設する,取引銀行を増やして競争させることによって借入利息を縮減するなどの対策を打ち,新規事業としてバイオ関連の技術や商品を手がける方針を提起し,Nもそれを受け入れていた。
その中の一つとしてβグルカンがあった。βグルカンというのは,高知県にあるF社が製造する商品で,当初K社はF社から仕入れたサプリメントを販売した。サプリメントの売れ行きは良好でK社に利益をもたらし,役員の報酬と従業員の賞与を増額することができた。O自身もサプリメントを服用し,長年続いていた便秘がなおるなどの効果があった。
ただ,サプリメントの単価は低いので,サプリメントを扱うだけでは大きな増収を期待することができない。そこで,OはF社からβグルカンの原液を仕入れて販売することを計画した。
ただ,原液の販売によって利益をあげるためには,需要を創出する必要がある。βグルカンの有効性に関する社会的認識を広めるとともに,βグルカンを使った商品を開発する必要があった。加えて,原液は非常に粘性が強い液体であるため食品等に混ぜ合わせる上で障害となっており,液体のままでは使用期限に制限があった。これらの課題を解決する必要があった。
Oはこれらの課題の解決することを食品業界での経験が長く,知識と人脈を持っていたS社のIに任せることにして,その資金をK社からS社に貸し付けることになったのである。
被疑事実にある金額の貸付を行ってきたのは事実であり2008(平成20)年には3億8000万円になっていた。その半分は消費貸借の形で,半分はいちいち借用証書を作成する面倒を省くため,S社から商品を購入した形を取り,代金名目で貸付をしていた。被疑事実ではこの点を「架空取引」と評価している。
2008(平成20)年6月頃,OはIに対して二通りの形式での貸付を一本化してほしいとIに要求した。強く返済を求めたわけではなかったが,Iは他から借り入れて2億円を返済した。Iは借入先に返済するために努力したが,見つけることができなかったため,Oに再度の借入を頼み込んできた。商品開発のためにはやむを得ないと判断して,Oは社長のNの了解を得た上で,銀行から借り入れた2億円を再度S社に貸し付けた。
検察はこの貸付が背任にあたると判断しているのである。被疑事実に,「平成20年6月末時点で1億8000万円余りの未収金を発生させ」とあるのは,一旦2億円の返済を受けることによって,未収金が3億8000万円から1億8000万円余りに減った状態のことを言っている。
多額の資金提供を受けてきたIは,薬品関連の業者に委託して原液をサラサラの液体に加工し,さらに粉末化することに成功し,食品やお菓子,ペットや養殖用の飼料に添加するなどの商品開発を続けた。また,電通の関連会社を使ってβグルカンの有効性に対する社会的認識を広める活動も続けていた。
そのような努力の結果,大手食材関連会社に原液を販売する商談や中国の病院向けにサプリメントを輸出する商談が成立しかけたことがあった。また,問題とされている平成20年頃には,東北地方にある大手養魚会社M水産がβグルカン原液を使った紅ザケ養殖用の飼料の実証試験を行った結果,養殖魚の生存率を格段に向上させるという好成績をあげ,翌年にはM水産がβグルカンを使った養魚用飼料製造工場を設置し,OはIやK社の担当者と一緒にM水産の養魚場や飼料製造工場を見学している。
もっともその後,2011(平成23)年3月11日の津波にのまれ,M水産は壊滅してしまったため,原液の取引が実現するにはいたらなかった。
もしも,3.11がなく,M水産との取引が実現していれば,K社新社長による告訴も2014(平成26)年6月23日の逮捕もなかったはずである。
2010(平成22)年9月,OがK社を退職した後に,取締役でありながらそれまで全くK社の経営に関与していなかったTの妻が経営に関わるようになり,K社に多額の負債があることに気づいた。Tの妻はOやIの説明を信じようとせず,告訴にいたったという経過であった。
起訴
Oによれば会社の利益のためにβグルカンに活路を見いだそうとして商品開発や社会的認知を広めるために資金をつぎ込んだ。自社で研究開発するよりも食品業界の経験があるIにやってもらったほうがよいと判断して,S社に資金を提供してきたということである。
こんな事件を起訴するのだろうか。不起訴の可能性も念頭に入れて弁護にあたっていたが,7月11日岡山地裁に公訴提起がなされた。
公訴事実はほぼ勾留事実どおりであった。
ただ,同時に身柄拘束されていたS社のIは不起訴処分になり釈放された。
何の利益も得ていないOが起訴され,検察の筋書きによれば利益を得たことになるIが不起訴という点にも違和感を覚えた。
S社への貸付がS社の利益になることは認めざるを得ないので,争点は貸付がK社の利益を目的として行われたか否かにある。もう一つ,何年にもわたって行ってきた資金提供について,一時的に返済を受けて再度貸し付けるという場面だけを取り上げて背任としている点にも作為を感じていた。
Iの虚偽供述
検察から証拠開示を受け,IがOの説明と大きく異なる供述をしていたことが分かった。類型証拠開示を受けた結果,警察段階では否認していたIが検察段階では以下のような供述をしたことになっていた。
「βグルカンの商品の開発などの費用はかかる一方で,その上,その開発などの事業がうまくいかず,前に進まなくなっていました」
「βグルカン事業をするに当たっては,次々と,商品化の過程で新しい問題が出て来るので,Oさんには,もうお手上げの状態ですわなどと言ったこともありました」
「βグルカンの原液の商品化にも失敗し,さらに,パウダーの商品化にも失敗し,平成19年か20年頃には,βグルカン事業は頓挫していました」
「この状態でまたK社から借り入れても,返せる訳はありませんでした。それに,βグルカン事業が立ちゆかなくなっていて,S社がK社に対する負債を全然返済できていなかったことは,Oさん自身もよく分かっていました。」
2億円の貸付を行った2008(平成20)年頃には,βグルカン事業は頓挫しており,S社が2億円を返済できないことをOも分かっていた,というのである。
I供述の弾劾
弁護方針は明確だった。検面調書のI供述を弾劾することである。そのため,検察がS社から押収していった記録の開示と謄写を求めた。何日も検察庁に通ってデジカメで撮影した写真はA4コピー用紙7センチほどの厚さになっていた。
押収記録から,問題の2億円を借りた後も2014(平成26)年に身柄拘束されるまでIが商品開発を続けており,K社からの資金提供が止まった後も他から借入をして商品開発を継続していることが明らかになった。これらの事実を示す,薬品会社との取引記録,紅ザケの飼料としてβグルカンを使おうと計画していたM水産に関する記録もあった。
開示された押収資料に付箋が貼り付けてあったことから,捜査側が押収記録を検討したことが伺えた。にもかかわらず,前述のような検面調書が作成されていたのである。
これらの資料を示しながらIに証言させることによって,検面調書を弾劾することができた。
検察の方針転換
Iの調書によって公判を維持することが困難になった検察は,K社とS社の財務状況を克明に明らかにすることに方針を転換した。S社に資産が無く多額の負債を抱えていること,K社の財務状況が悪化して保険を解約したり,Oを含む役員から借入をしたりしたことの立証に力点を置くようになり,K社と取引のあった金融機関の担当者を証人として申請し,公認会計士の資格を持つ警察官に財務分析をさせたうえで証人申請した。
弁護人は財務の客観的状況を争っている訳ではないので必要無しとの意見を述べた。しかし,裁判所は検察の請求を採用した。
一審判決
審理の結果,Oがβグルカンの商品開発をして原液の需要を増やすことによって,原液の売上げでK社が益を得ることを目的としてS社に資金提供してきたこと,Iが提供された資金によって商品開発やβグルカンの社会的認知を広めるための活動を継続していたことが明らかになった。
そこで検察は,論告で財務状況の悪化を縷々主張したうえで,「もっとも有力な目的がクラカンの利益であると認められない限り,クラカンの利益を図る目的があったとは認められない」と主張し,懲役3年を求刑した。
これに対して,弁護人は,S社から押収した客観的資料を無視してIに虚偽供述をさせ,被疑事実があったという2008(平成20)年から6年間も経過しているのに記憶喚起に必要な資料を見せないままIやOに供述を迫るなどの捜査手法の問題点を指摘し,そのような手法によって構成した検察のストーリーが破綻したことを主張した。そして,OがK社に加わって以降一貫してK社の利益のために働き,βグルカン関連の事業についてもK社の利益を図るために行ったと,無罪を主張した。
しかし,岡山地裁第2刑事部は検察の主張を認め,懲役2年6月,執行猶予4年とする判決を言い渡した。
「本貸付けは,K社に重大な損害を与える現実的危険性の高い行為というほかなく,それでもなお被告人がK社の利益を図る目的で本件貸付を行ったというためには,このような本件貸付の重大性及び危険性を払拭し得るだけの確実な収益がS社に期待できること又はそのような危険な行為をあえて行うべきK社にとっての必要性や緊急性があることが不可欠というべきである。」と高いハードルを設けることによって, OにK社の利益を図る目的(本人図利目的)があったとは認められないとした。
控訴趣意書
即日控訴した。
控訴趣意書では,本件の資金提供が金融機関のように利息による利益を目的とするものではないし,商品売買のように製造原価や仕入原価と販売代金の差額による利益を目的とするものでもない。商品開発による将来の売上げの拡大を目的としたものであること,したがって可能性が見込める以上,ある程度負担が大きくても資金提供を継続することが合理的であることを説明し,1審判決の事実誤認と本人図利目的について異常に高いハードルを設けた点を批判した。
さらに,控訴趣意補充書で,東芝のケースを引き合いに出して経営判断を尊重しなければならないと主張した。
その部分を引用する
「現在,東芝の原子力関連事業に関する巨額損失が話題になっている。東芝は,2006年にアメリカの原子炉メーカーであるウェスティングハウス(WH)を5000億円で購入した。これによって2015年までに世界で39基の新規プラントを受注して原発事業の売り上げを4000億円から1兆円に伸ばすという計画であった。
しかし,2011年3月に発生した福島第1原発事故によってこのもくろみは崩れてしまった。にもかかわらず,2015年にウェスティングハウスを通じてアメリカの原子力建設と統合的サービスを担うストーン・アンド・ウェブスター(S&W)社をシカゴ・ブリッジ・アンド・アイアン社(CB&I)から2億2900万ドル(当時の為替で270億円)で買収し,アメリカで4基の原発の建設したところ,原発コストの上昇によって巨額損失を出してしまったのである。
東芝のアメリカでの原発事業の損失は最大7000億円といわれており,2016年3月決算で原発事業において2500億円の減損をおこなっている。
福島第1原発事故によって世界中が原発推進に慎重になっていたにも関わらずCB&IS&W社を買収することは大きなリスクを冒すことになる。現に,東芝は莫大な損失をこうむってしまい,不正会計処理にまで及んでいる。しかし,多くの企業が原発から手を引いていくなかで原発関連の企業を買収するということは,逆に原発関連の市場における東芝のシェアが拡大するということである。安倍首相がベトナムやインドに原発を売り込もうとしたことは周知の事実であるが,これらの国での原発建設を受注できれば東芝は大きな利益を得ることになる。
東芝経営陣の判断は,まさに経営判断である。結果的に莫大な損失を招いてしまったのであるが,シカゴ・ブリッジ・アンド・アイアン社(CB&I)への2億2900万ドル(当時の為替で270億円)の支払いが特別背任罪に該当することはない。」
控訴審判決
判決は常識的なものだった。
控訴審は本人図利目的について「被告人が,βグルカンの粉末化に成功していたことや進行中の商談があること等の一応の根拠を持って,S社が事業を継続することによって将来的にβグルカン関連事業が成功を収めることを期待し,それによって提供した資金の回収やβグルカン関連の取引の拡大等によりK社が利益を得ることを期待して本件貸付に及んだことは否定できない。新規事業のため多額の資金を投入したのに期待した結果が得られず,事後的に被告人の判断が誤っていたと評価されるとしても,この種の事業の経営判断において,このような一応の根拠のもと努力により成功することを期待するのは不合理ではなく,被告人のいうβグルカン関連事業の成功可能性は単ある希望的観測に過ぎないとして,K社の利益を図る目的を否定する事情とする原判決の評価は不合理であるといわざるをえない。」と判断した。
もうひとつ,控訴審は判断を加えている。
検察は,一旦2億円の返済を受けた状態と再度2億円を貸し付けた状態を比較して損害を与えたと主張し,1審判決もそれを受け入れたのであるが,弁護人は控訴趣意書で「一旦S社から2億円弱の返済があり,まもなくIから再度の貸し付けを要請され応じた訳であるが,一旦減った貸付金が元に戻ったという程度の認識であった。貸付金額が元に戻ったのであるから,K社に「財産上の損害」を与えたと評価することはできない。」と主張していた。
控訴審はこの点について,「本件返済はK社の決算対策としてなされたものであって,本件返済から本件貸付に至る一連の処理は一体として考察すべきであるから,決算の時点における一時的・暫定的に改善された財務状況を任務違背性の前提とするのは適当でなく,これを前提に本件貸付はクラカンに重大な損害を与える現実的危険性が高い行為であるとした任務違背性に関する原判決の判断は不合理であると言わざるを得ない。」と判断している。