化学物質過敏症を労災と認定した事例
(清水 善朗 会員)
1 事案の紹介
岡山県の東部に住むAさんは,1995年4月からO社というガスボンベの検査,塗装,ガスの充填販売をする会社で働くようになり,主に塗装作業に従事していた。
同年9月頃から,喉の痛みや痰の症状を訴え,町医者にかかるようになったが原因が分らず,同様の作業を続けた結果,次第に多彩な症状を訴えるようになった。頭痛,胸痛,筋肉痛,腹痛,下痢,不眠等々。
Aさんは,仕事を続けながら複数の診療所や病院で診察・治療を受け,慢性胃炎,心因性疼痛,筋緊張性頭痛,自律神経失調症,慢性気管支炎,慢性疲労症候群などの診断名がつけられたが,治療効果はあがらなかった。
ようやく,職業病に詳しいT病院(倉敷市)のM医師に巡り会って有機溶剤に含まれるトルエン等が原因の化学物質過敏症との診断を受け,継続して治療を受けることになった。一定の治療効果があって症状は軽くなったものの,煙や臭い,わずかな化学物質にも反応して体調を崩してしまうため,防毒マスクを手放すことのできず,仕事に就くこともできない。
2 労災申請と取消訴訟
Aさんは,和気労働基準監督署に労災申請したものの棄却され,審査請求も棄却,再審査請求中の2004年6月岡山地方裁判所に不支給処分の取消を求める行政訴訟を起こした。
3 争点
(1)疾病論
原告は,M医師の意見書によってAさんの化学物質過敏症罹患を立証したのに対して,被告国は,化学物質過敏症は確立した疾病概念ではない,診断基準も定まっていない。M医師の診断は,慢性疲労症候群や自律神経失調症との鑑別診断が十分なされていないなどと主張し,化学物質過敏症罹患を否定する2人の医師の意見書を出してきた。
(2)他原因論
被告は,家を新築したことが原因のシックハウス症候群の可能性があるとも主張し,さらに,以前の職場でも有機溶剤を扱っていたからそれが原因の可能性もあると主張するようになり,裁判中に労基署職員に以前の職場の聞き取り調査をさせ,自動車の修理工場で働いていた頃に有機溶剤を使用したことがあったとする聴取書を証拠に出してきた。裁判になった後に労基署を使って業務起因性を否定するための調査をさせるやり方には強い憤りを覚えた。
(3)濃度論
O社は,有機溶剤中毒予防規則で定められた,健康診断や危険の掲示義務にことごとく違反しており,濃度測定も実施していなかった。にもかかわらず,労災申請後に実施した濃度測定結果を根拠にAさんが働いていた当時も有機溶剤の濃度は低かったと主張した。
4 一審での審理と判決
(1)審理
発症原因が,O社における塗装作業であることは,本人の陳述によって,作業量が多く,作業環境が劣悪であったことを明らかにし,治療を受けた医療機関のカルテに記載された症状により,職歴が長くなるにしたがって症状が多様化,深刻化しているとを明らかにすることによって立証しようとした。
また,自宅新築以前から症状が現れていたことを明らかにすることによって,シックハウスの主張に反論し,O社採用までは症状がなかったことを明らかにすることによって,以前の職場が原因であるとの主張に反論した。
暴露濃度については,測定の際に行っていた作業内容や換気の条件,有機溶剤の保管状態が実際の作業状況と異なっていることを明らかにすることによって,Aさんが働いていた当時の濃度は測定値よりも高かったことを主張立証した。実際の作業状況や有機溶剤の保管状況については,Aさんが当時を思い出して作成したスケッチや作業場の開口部から撮影した写真を利用した。
Aさんの症状を化学物質過敏症と診断できるか否かが,最大の争点であり,原告側申請のM医師と,被告側申請のK医師の証人尋問を行った。M医師は,化学物質過敏症の診断基準にAさんの症状経過を丁寧に当てはめる一方で,慢性疲労症候群等の他疾患との鑑別について詳細に説明する内容であった。他方,K医師は,じん肺等呼吸器専門の医師であり,Aさんを診察した際には化学物質過敏症を疑っていたことがカルテ上の記録に残っていた。にもかかわらず,16歳の頃にあった交通事故が原因の自律神経症状であるとする同じ岡山労災病院の精神科医師がカルテに記載していた判断が正しいと証言した。この精神科医医師の診断には根拠が乏しく,おそらくまともに証言することができなかったから,精神科医師に証言させるのではなく,K医師がカルテの記載を利用したものと想像している。まことに不誠実な証言であった。
両医師の証言後に,原告側は鑑定を申請した。鑑定人を誰にするかが問題となり,被告国側は,2人の候補者を提案した。その1人がI医師だった。I医師については,化学物質過敏症の診断・治療の経験や,他の訴訟で原告側証人となったことがあるとの情報を得ていたことから,鑑定人をI医師とすることに同意し,同医師が鑑定することになったのであるが,この判断は失敗であった。
I医師は,他の事件では化学物質過敏症の診断基準を明確に挙げた上で,患者の症状経過や検査結果を当てはめて化学物質過敏症との判断を示していた。ところが,本件では,診断基準を明確に示すことなく,症状や検査結果の当てはめもしないままに,化学物質過敏症と診断することはできない,「心因」が原因との結論を導いた。同医師は反対尋問において,化学物質過敏症の診断基準に該当することは認めたうえで,高い濃度の有機溶剤に暴露したかどうか分からないので,診断しなかったと証言した。
(2)判決
それぞれの論点で,被告側立証の証明力をそぐことができたので,岡山地裁判決に期待していたが,2008年9月30日に言い渡しのあった判決は,すべての争点について国の主張を鵜呑みにした期待はずれのものであった。診断基準に該当することを認めながら,「心因」としてAさんの化学物質過敏症罹患を否定したI鑑定を無批判に受け入れたことには,憤りを覚えた。
5 広島高裁岡山支部でのたたかい
控訴することについてAさんに何の迷いもなかった。
控訴審では,改めてM医師に補充意見書を作成していただくとともに,化学物質過敏症治療の先駈けであるK病院の医師に診察してもらった上で意見書を作成していただいた。環境の変化によって変調をきたしやすいAさんは,家族とともに自家用車で上京し,K病院の医師の診察を受けた。そして,意見書を作成していただき,さらに診断に至る判断過程や診断に当たって各種検査がどのような意味を持つのかといった点について,代理人からその医師に質問内容を保存したフロッピーディスクを送り,その書式に回答していただく形で作成した回答書を証拠として利用した。
高田裁判長の指摘で,K病院が実施した指標追視検査や,重心動揺検査の結果をどのように評価するかについてK病院の医師の見解を回答書として提出することになり,あわせてI医師が実施した同種検査記録を取り寄せることになった。その結果,I医師が検査結果の異常値について再現性が乏しいとか,著しい異常ではないとかの理由をつけて検査結果を軽視ないし無視していたことが明らかになった。この点も,I医師の鑑定の信頼性を批判する材料として最大限利用した。
6 高裁判決
約2年間の審理を経た後の2011年3月31日,広島高裁岡山支部はAさんを化学物質過敏症として労災と認める逆転勝訴の判決を言い渡した。
判決は,化学物質過敏症について,「統一的な定義や診断基準として世界的あるいは日本において認められたものがあるとはいえないが,原因となる化学物質に暴露されることにより反応して症状が現れ,その後微量の化学物質であっても再接触の場合に再び過敏状態として症状が現れるような病態があることはそれほど異論があるわけではなく,ただ,その明確に統一された定義が無く,診断についても明確で統一的な基準がなく,発症機序が解明されておらず,原因物質との因果関係の認定について慎重な態度をとる見解が根強いものの,合意事項や石川基準により具体的な診断基準が設けられている」として,疾病概念として化学物質過敏症の存在を肯定した。そのうえで,症状経過や,検査結果をもとに診断基準への当てはめを行ってAさんの化学物質過敏症罹患を認定した。
原因物質への暴露については,O社が行った測定結果は,換気条件等の実態を反映していないとして,より高濃度であったとし,暴露機関が長期にわたっていることから,有機溶剤暴露と化学物質過敏症の因果関係を認定した。
判決には,I鑑定の証拠価値を厳しく批判した部分もあるが紙幅の関係で割愛する。
2002年3月の労災申請から勝訴判決確定まで9年間,Aさんと家族は生活が苦しい中よくがんばった。支援していただいた,建交労岡山労災職業病支部,岡山県労災職業病・過労死連絡センターの方々に感謝したい。
7 科学者の良心について
この勝利は,M先生,K病院の医師の先生の協力なくしてありえなかった。Aさんの症状経過や職歴を直視し,治療に努力する誠意ある医師である。他方,国側に立って証言したK医師,鑑定を行ったI医師は,事実を曲げ,あるいは判断を曲げ,国に迎合する立場に立っていた。
最近読んだ「医学者は公害事件で何をしてきたのか」(津田敏秀著 岩波書店)には,水俣病その他の公害事件で,医学者をはじめとするいわゆる専門家が,国や企業に迎合した意見を述べ,その見返りとして国や企業から重用されるという相互依存の姿,被害者を救済すべき行政が歪められ,被害者が切り捨てられる実態が専門家の立場から批判的に描かれている。
福島第一原発事故による放射能汚染にも関わらず,直ちに影響はないとか安全だとかコメントしている専門家たちも,電力会社や行政に重用されてきた人たちだ。
「専門家」と行政の相互依存・癒着の構造を変えなければならない。