空調機製造会社職場長くも膜下出血事件
―認定基準を下回る時間外労働について労災認定ー
(山本勝敏会員)
判決年月日 岡山地方裁判所第2民事部合議係 平成20年12月18日
広島高等裁判所岡山支部第2部 平成23年 3月10日
確定
第1 事件の概要
本件は、平成13年5月9日午前8時頃、空調機製造会社職場長の立場にあった被災者が職場体操中に脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血を発症し、左半身麻痺の後遺症が残り、身体障害者等級1級の認定を受けた過労疾病事案である。
行政不服手続(労働基準監督署、労働者災害補償保険審査官、労働保険審査会)いずれでも不支給処分とされたため、労働者災害補償保険法40条、行政事件訴訟法8条により訴訟提起したものである。
第2 業務の内容
1 被災者は、平成12年10月末まで製造5課でL型アングル(鋼材)の切り欠き作業を行い(鋼材は平均重量3㎏以上あり重労働である)、製造2課が多忙となったため、同年11月1日よりその応援に駆り出されて空調機パネルの取り付け・配線作業を行い(重量物を扱うとともに神経集中を必要とする)、2課の繁忙期が収まったことから、平成13年3月16日より、製造5課に戻って切り欠き作業を行っていた。
2 上記のとおり、被災者は職場長の立場にあって5課および2課の業務に習熟していたことから、会社都合でそれぞれの課の繁忙期に長期間にわたり長時間労働を強いられることになった。被災者のように掛け持ちで長期間、長時間、重労働に従事させられた従業員は他にいなかった。
第3 争点
1 厚生労働省の脳・心臓疾患にかかる認定基準(この基準によって過労死・過労疾病の行政認定が行われている)は、発症前1ヶ月間におおむね100時間または発症前2ヶ月間ないし6ヶ月間にわたって、1ヶ月あたりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価し労働災害と認める運用を行っている。また、発症前の長期間とは、発症前おおむね6ヶ月間をいうとして認定実務はそれ以前の業務を軽視する傾向にある。
2 本件事案では、発症前11ヶ月目より時間外労働時間が増加して行ったが、発症前3ヶ月間は減少していた(発症前11ヶ月より順次80時間51分、104時間6分、55時間24分、63時間25分、90時間55分、109時間1分、68時間48分、100時間14分、48時間53分、22時間20分、32時間57分)。11ヶ月を平均すれば約70.6時間の時間外労働となるが、発症前6ヶ月で平均すると63.7時間となり、いずれにしても認定基準を満たさなかった。
3 行政手続による業務外決定(以下「不支給処分」という)の取消を求める訴訟において、国側は、(1)時間外労働時間は発症前6ヶ月間で評価すべきこと、(2)認定基準による時間外労働時間を満たしていないこと、(3)発症前2ヶ月間は時間外労働時間が月45時間以下であったことから、仮にそれ以前に一部認定基準を満たす長時間労働が行われていたとしても業務との関連性は弱く、蓄積疲労は回復することから業務外であると主張した。
第4 認定基準との闘い
1 本件当時、航空乗務員・海外出張者などの不規則勤務者、看護師・夜勤者などの深夜交替勤務者、タクシー乗務員などの長時間拘束者、脳血管疾患の既往者については、認定基準月80時間はもとより、月45時間以下の時間外労働についても、認定基準を弾力的に運用して不支給処分の取り消しを認めた先駆的裁判例が多数存在しており、労働の量と質、睡眠時間などを総合考慮して業務起因性を判断する手法が確立していた。
他方、上記類型に該当しない健康に特に問題のない労働者については、認定基準に定める月100時間ないし80時間の壁と発症前6ヶ月という壁が立ちはだかり、本件のように発症前6ヶ月の平均時間外労働時間約64時間、発症前3ヶ月の平均時間外労働時間約34時間の事案の場合、労災認定はもとより、裁判所において不支給処分が取り消され確定した事案は本件までなかったように思われる。
2 本件国側主張に即して述べれば、発症前6ヶ月以前の労働時間を考慮することについては、厚生労働省作成の「認定基準の運用上の留意点」においても、タイムカード等により発症前6ヶ月より前から継続している事案について付加的に考慮することを認めており、認定基準が準拠した医学的知見も6ヶ月以上の期間にわたる慢性的蓄積疲労調査に基づくものであったことから、元々、認定基準の運用の枠内にあった。その意味で、従来の労災認定実務が認定期間を狭くとらえ過ぎていたために不当な救済切り捨てが行われていたといえる。
従って、この点について、本件一審及び控訴審判決が発症前11ヶ月間の労働を評価した点は上記留意点を踏まえた至極まっとうな判断である。
3 問題は、①認定基準による時間外労働時間を満たしていないこと、②発症前2ヶ月間は時間外労働時間が月45時間以下ということにあった。つまり、本件において業務災害認定に必要な蓄積疲労が認められるかという点である。
認定基準は、100時間あるいは80時間の時間外労働があれば業務との関連性が強く、時間外労働時間が月45時間に満たない場合は業務との関連性が弱いとし、専門検討会報告書が準拠する医学的知見の中にも月45時間以下の労働と疾患との間の有意な関係を認めるものは見当たらなかった。しかし他方、専門検討会報告書に記載された医学的知見によれば、月60時間を超える時間外労働と脳・心臓疾患との間には有意な関係が認められていたため、平均時間外労働時間がこの範囲であれば、認定基準の時間数を満たさなくとも医学的知見と矛盾しないと考えられた。また、医学文献によれば、過労とは長時間、頻繁な休息、睡眠をとらないと回復しない状態とされており、過労の回復には相応な休息をとることが必要と考えられたし、月45時間以下であれば業務との因果関係がない、あるいは、過労が回復するということを裏付ける確たる医学的見解も存在しなかった。
これら諸々の医学的知見を踏まえた上で、①時間外労働が増加する以前の段階で健康診断結果に取り立てて問題のなかった労働者が、②認定基準にいう時間外労働時間は満たさないものの、6ヶ月、11ヶ月を平均して医学的知見(月60時間)と矛盾しない時間外労働に従事した後(そのうち数ヶ月は認定基準にいう時間外労働時間を満たす)、③認定基準が認定疾病と認めるくも膜下出血で倒れた場合において、④時間外労働時間が45時間以下であれば蓄積疲労が回復するとの確たる医学的見解もなく、⑤また、労働者が蓄積疲労から回復したことを窺わせる事情も認められない本件において、果たして業務起因性を認めることができるか否かが正面から問われることになった。
4 国側は、一審段階で本件に関する澤田徹の意見書、千葉地裁判決に対する和田攻ほかの各意見書(認定基準、脳動脈瘤一般に関する。なお、和田は前記厚生労働省専門検討会座長である)を提出し敗訴すると、控訴審段階で、新たに和田攻、由谷親夫、浅井堯彦、鈴木庄亮、三角順一の各医学意見書を提出し、認定基準以下の時間外労働であれば業務関連性が認められない、発症前3ヶ月間の時間外労働時間の減少により疲労が回復した、被災者は先天的に脳動脈壁に脆弱性を抱えており自然増悪である、タバコ・遺伝など他のリスクファクターが存在した、最新の知見によりくも膜下出血と業務との間の因果関係は否定されているなどと主張した。被災者側は一審、控訴審を通じて、新宮意見書、道端意見書によりこれに全面的に反論した。国側提出の意見書は相互に矛盾した記載が散見され、和田意見書は専門検討会座長の権威を笠に着るものの、専門検討会報告書の根拠となる医学的知見(月60時間で有意な相関あり)を無視して、確たる根拠も示さずに月45時間以下であれば疲労の蓄積は生ぜず蓄積した疲労は回復すると主張し、果ては専門検討会報告書においてくも膜下出血が認定疾患とされているにも係わらず、現在ではくも膜下出血は先天的・遺伝的素因と生活習慣による病気であり過重労働とは関係がないとこれと矛盾する主張を行うなど、論理破綻が明白な内容であった。
5 国側主張・立証にも係わらず、一審、控訴審ともに、前記①から⑤の諸事情を総合考慮して不支給処分を取り消し、判決は確定した。そもそも、月45時間以下であれば疲労が回復するというのは不可知論であり、労働の質・量・睡眠時間等を総合考慮した結果、業務以外に過労疾病を招来する要素が認められず、最新の医学的知見とも矛盾しないのであれば相当因果関係が認められて当然である。訴訟においては、これまで不規則勤務、昼夜交替勤務、長期間拘束勤務、基礎疾患既往者について認定基準に定める時間外労働時間数を満たさなくても業務認定されてきたが、本件は、これらに該当しない労働者について参考となる事案ではないかと考える。
6 なお、その後、本件同様の認定基準以下の時間外労働時間事案に関し、東京地裁平成25年2月28日判決(脳内出血)、大阪地裁平成27年2月4日判決(原審)・大阪高裁平成27年9月25日判決(控訴審)(虚血性心疾患)がいずれも業務起因性を認め、不支給処分の取消を認めている。今後、同様の流れが定着していくものと思われる。