オリンピックで失われる私たちの幸せ(2018.10.30 岡邑 祐樹会員)
先日東京に行った。オリンピックを2020年にひかえ,いたるところにオリンピックに関する掲示物があふれている。しかし,私は,この流れに不安感を抱いている。
いうまでもないが,オリンピックは,4年に1度のスポーツの祭典であり,それを心待ちにする国民がいたとしても,それはおおいにけっこうなことである。
問題は,心待ちにしているわけではない国民に対し国家や企業が負担を強いて,それをオリンピック成功のために我慢しようと押しつけることである。
そのような例は,サマータイムの導入,高校や大学での単位認定など枚挙に暇がない。
まず,現在東京オリンピックのため考えられているサマータイムは,東京オリンピックの開催時期が日本では猛暑であることが見込まれるため,選手の負担を考えて,時刻を標準時刻から1ないし2時間早めるというものらしい。
サマータイムについて,日本睡眠学会などによりその身体への影響が懸念されている。そもそも,たかが2週間程度のスポーツ大会開催のために,1億3000万人のライフスタイルを変化させよということが本末転倒である。結局サマータイムの導入はあまりに反対が多いため立ち消えになったとのことである。
また,ボランティア活動については本来自由なものである。ところが,高校や大学では私立公立問わず,ボランティア活動について内申点などでの評価を検討している。これでは,生徒学生は,進学や就職活動のため否応なくボランティア活動をせざるを得ない。これは,ボランティア活動の精神を大きくかけ離れる。
さらに,オリンピックで授与される金銀銅の各メダルは,国民からの広く金属類の提供を呼びかけ,それを鋳造して作られるとのことである。しかし,金属類の提供が少ないため,さらなる提供をアピールしているとのことである。大げさかもしれないが,これは,戦時中に兵器のため,国民の鉄製品が供出されたことを彷彿とさせる。
東京オリンピックのために,広告収入や建築特需で大企業が利益を得る一方で,国民が無償で負担を強いられるのは,おかしなことである。
オリンピックは2020年の大イベントである。しかし、ライフスタイルやボランティア活動などは個人の自由に属する事柄であり、国家が干渉すべき事柄ではない。オリンピックによって個人の幸せが害されてはならないのである。